雪村春樹が遺した縄の流儀⑦
目次
なぜ雪村流は女性人気が高かったのか

雪村流について調べていくと、
意外に感じる人もいるかもしれません。
「女性側から支持されていた」
という点です。
SMや緊縛というと、
どうしても男性側の趣味として語られやすい世界があります。
ですが雪村流には、
女性側から惹かれる理由が確かに存在していたように思えます。
それは単純に、
「優しかったから」
ではありません。
むしろ逆です。
雪村流には、
かなり濃厚な羞恥や緊張感があります。
ですがその中に、
“女性が主役になれる空気”
がある気がします。
そこが大きかったのではないでしょうか。
現代のAV的なSMでは、
どうしても「責め」が中心になりやすい部分があります。
責める側が主体となり、
女性はリアクションを求められる。
ですが雪村流では、
どちらかというと逆でした。
作品の中心にあるのは、
“女性側の感情変化”
です。
どう恥ずかしくなっていくか。
どう視線を逸らすか。
どう委ねていくか。
そこが物語の中心になっている。
だから見ている側も、
縄そのものより、
「彼女はいま何を感じているのか」「どう感じているのか」
を追うことになる。

これは、
かなり珍しい構造です。
つまり雪村流では、
女性が“消費される側”というより、
「感情表現の主体」
になっていたのかもしれません。
ここは、
女性人気を考える上で非常に重要な部分だと思います。
また雪村流には、
現代のAVにあるような
“過剰な演技感”
が比較的少ない。
もちろん演出はあるんだろうと思います。演技ももちろんあるのでしょう。
ですが雪村作品の中では・・
途中で本当に黙ってしまう女性もいる。
照れて笑ってしまう。
困った顔をする。
恥ずかしくて視線を逸らす。
そうした“不完全な反応”が、
そのまま残されている。それが映像として前に出てくる。
だから見ている女性側も、
「演技として遠い世界」
ではなく、
“感情として理解できる世界”
に感じやすかったのかもしれません。
さらに雪村流には、
「女性を急がせない」
空気があります。
すぐに快感へ持っていくのではなく、
戸惑い。
緊張。
羞恥。
ためらい。
そうした感情の時間を、
ちゃんと残している。
これは実は、
かなり女性的なテンポです。

男性向け作品では、
結果や刺激が急がれることがあります。

特にAVでは早く刺激が欲しくなるし、それでなくても早送する男性は多いでしょう・・
ですが雪村流は、
むしろ“感情の前置き”を大切にしていた。
だから女性側が、
感情移入しやすかったのでしょう。
また、
雪村流には独特の「文学性」もあります。
たとえば、
ただ裸にするだけではなく、
着物を少しずつ崩していく。
帯をほどく。
髪が乱れる。
足袋だけ残る。
そうした演出には、
昭和の官能映画や、
谷崎潤一郎作品のような
“日本的フェティシズム”
が強く残っています。
つまり雪村流は、
単なるSMではなく、
「女性をどう美しく崩していくか」「崩された女性がどう感じるか」
という美意識も含んでいた。
ここに惹かれた女性は、
かなり多かったのではないでしょうか。
さらに興味深いのは、
雪村流には“完全な正解”が存在しない点です。
現代の緊縛では、
安全理論や技術体系が整理されています。
それは非常に大切なことです。
ですが雪村流には、
もっと曖昧な部分が残っている。
なんか適当な感じで結んでいたり、時にはおおざっぱに見えたり。
つまり、
理屈だけでは説明できない。
だから逆に、
「感情で理解する世界」
として女性に残りやすかったのかもしれません。
実際、
海外でも雪村流は、
“emotionally immersive bondage(感情没入型の緊縛)”
として語られることがあります。

つまり雪村流は、
単に縛られる刺激ではなく、
“感情の中へ入り込んでいく縄”
だったのでしょう。
だから今でも、
技術論を超えて、
「なぜか惹かれる」
と言われ続けているのかもしれません。
雪村流の女性心理表現を感じやすい参考作品
雪村流の特徴は、
技術よりも、
・女性側の感情
・羞恥
・戸惑い
・崩れる
を丁寧に描いている点にあります。

現代作品と見比べると、
“女性の描かれ方”の違いがかなり感じられるかもしれません。
▼ 雪村春樹 関連作品
縄日記 参 黒髪なぶり300円
次回は、
「“支配”だけではない雪村流のSM観」
について、
もう少し掘り下げてみたいと思います。
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