3.『Babygirl』が描いた、人は複数の欲求を同時に抱えて生きている

― 欲望か家庭か、という単純な話ではない ―

第1部では、ロミーが自分の中にあった欲望と向き合う姿を書いた。

第2部では、その欲望が単なる性的な刺激ではなく、支配されることへの快感や、その相手を失いたくないという執着につながっていくことを書いた。

しかし『Babygirl』を観ていて最も興味深かったのは、その先だった。

ロミーはサミュエルに惹かれている。

嫉妬もする。

失いたくないとも思っている。

それなのに、夫や家族を捨てようとはしない。

むしろ最後まで守ろうとしている。


ロミーは何を選んだのか

多くの映画やまたは人間の気持ちは

夫か恋人か。

安定か情熱か。

家庭か欲望か。

そんな二択を描く。二つを選びのは不正に思えるからかもしれない。

そして最後にはどちらかを選ぶ。

しかし『Babygirl』は少し違う。

ロミーは最後まで迷っている。

なぜなら、本当はどちらも大切だからだ。

夫との人生は嘘ではない。

家族への愛情も本物だ。

今まで築いてきた人生にも価値がある。

しかし同時に、

サミュエルとの関係の中で見つけた自分も本物だった。


人はひとつの欲求だけでは生きていない

私たちは時々、

自分の人生にはひとつの正解があるように考えてしまう。

本当に愛する人はひとりだけ。

本当にやりたいことはひとつだけ。

本当に求めるものはひとつだけ。

しかし現実の人間はもっと複雑だ。

感情の欲望と知性の欲求なのだろうか?

それらは同時に存在する。

しかも、その欲求同士はしばしば矛盾する。


欲望は愛情の否定ではない

特に性的な願望については、

多くの人が誤解しているように思う。

パートナーがいるのに別の願望がある。

結婚しているのに違う体験に興味がある。

そう聞くと、

「今の相手を愛していないのではないか」

と思われがちだ。

しかし本当にそうだろうか。

ロミーを見ていると、

むしろ逆に感じる。

彼女は夫を愛している。

家族も大切にしている。

それでも自分の中にある欲望は消えなかった。

つまり欲望は、

愛情の反対側にあるものではない。

時には同じ人の中に、同時に存在するものなのだ。


選ぶことだけが答えではない

『Babygirl』を観ながら感じたのは、

人は必ずしも何かを切り捨てなければ生きられないわけではない、

ということだった。

もちろん現実には責任がある。

守るべきものもある。

だから何をしてもいいという話ではない。

しかし、

自分の欲望を認めることと、

今の人生を否定することは別だ。

興味を持つこと。

想像すること。

話を聞くこと。

体験してみること。

それらはすべて違う段階にある。

人生を壊さなければ、自分を知ることができないわけではない。


もうひとりの自分を知るということ

このサイトには、

「結婚もしています」

「普通に仕事もしています」

というごく普通の女性ばかりだ。

そして多くの方が、それとは別に

自分の欲求にも正直に向き合おうとしてしている。

それはロミーが抱えていたものと、どこか重なっているようにも見える。


人生を壊すためではなく、自分を知るために

『Babygirl』は、不倫の映画でもなければ、破滅の映画でもない。

ひとりの女性が、自分の中にいたもうひとりの自分と出会う映画だった。

そしてその出会いは、

今までの人生を否定するためではなく、

自分自身をより深く知るためのものだったように思う。

人は複数の欲求を抱えて生きている。

愛情もある。

責任もある。

欲望もある。

そのどれか一つだけが本当の自分なのではない。

すべてが自分なのだ。

もし今、自分の中に説明できない興味や願望があるのなら、それを無理に否定する必要はない。

まずは知ること。

理解すること。

そして必要であれば、安全な環境の中で少しだけ触れてみること。

その先に、自分でも知らなかった自分がいるかもしれない。


→ 初めての方へ
https://www.mdamsel.red/beginner

→ FAQはこちら
https://www.mdamsel.red/faq

→ お問い合わせ
https://www.mdamsel.red/inquiry

クリックお願いします。→アダルト ブログランキング

ピックアップ記事

関連記事一覧